「経済で読み解く日本史」
のなかで江戸時代の
「内田家」という
尾州廻船の話が出てきます。
1833年から1837年まで続いた。
天保の大飢饉の時に
伊勢湾や瀬戸内海のコメを
運んで大儲けしたと・・・
天保の大飢饉は瀬戸内海は
全然影響がなかったみたいですね。
わが「住吉屋」
の建物の建造が天保12年(1841年)
バッチシ会いますよねえ。
もっとも、氷見の宮ノ下には
住吉屋茂平と同郷で
廻船問屋で「備前屋惣七」という人が
いたそうなので。
そちらが米の搬送を
受け持ったのかもしれませんね。
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