「火鉢」の裏に「士官倶楽部航空隊」の文字

火鉢の灰をだそうとひっくり返すと「士官倶楽部航空隊」があったので驚きました。/1938年から1940年にかけて、愛媛県東予の中山川の河口近くの浅瀬の干拓が行われ整備が始まった。1942年、逓信・海軍両省による間のパイロット養成所として開設されたが、実質的には海軍搭乗員の養成所として運営された[1]。終戦までの3年間に700人以上が訓練を受けたとされる[1]。飛行機操縦士となる操縦科の他に、航空機の機上整備士などになる本科の、二つの教育課程があった。1944年3月、同じ敷地内に詫間海軍航空隊西条分遣隊(後の西条海軍航空隊)が開隊した。養成所長が分遣隊長(後に司令)を兼任した。1945年5月以降は、香園寺などに分散疎開をして、簡易兵器の製作などを行いながら終戦を迎えた。

江戸末期・天保の古民家「住吉屋」森邸再生物語

愛媛県西条市氷見丙658番地にある「古民家/地主の家(庄屋格)」の保存を目的とする運動。現在有形文化財認定に挑戦。江戸後期天保12年(1841年)建之とあるが、別棟庭座敷はもっと古い可能性が。「氷見古民家研究会」というバックアップ組織により2016年7月より修理しながら公開している。→2023年8月7日に悲願達成。認定されました

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